お母さんから見た子どもの姿③
海から離れた山側の地区に住む中学1年生女子(被災時小学6年生)
①地震が起きた時、起きた後しばらくの間、どんな気持ちだったか?
→地震が起きた時はすぐに「家は大丈夫かな? みんな大丈夫かな?」 と家族のことが気になった。
②震災で、周囲に何か変化はありましたか?
→小学校の体育館が遺体安置所になると聞いた時はもう怖くて仕様がなかった。
③そうした変化に対して、どんな気持ち、またはどんな事を考えたか?
→中学へ入った時、自分は制服を着て入学式に出たが、着ていない人もたくさんいて、注文していた制服も店ごと津波で流されたと聞いて、なんかとても悲しかった。今は皆、制服を着て登校している。
④いま、何か不安はあるか?あるとすれば、どんな事か?
→同級生の中で、津波で身内や家が無くなったり、親の仕事が無くなったため、この土地を離れていく人がいる。「ここにいたいのに」「友達と一緒に学校に通いたいのに」 と思うと、とても悲しい。
⑤今、希望すること。
→部活を思いっきりやれたらなぁ~(中学校の体育館は避難所で、校庭は仮設住宅が建っている。先生たちもいろいろ考えてくれて土日に他の学校を借りるなどしてくれているけど)
【お母さんにお話を聞いた方から】
このご家族が在住する地域には3つの小学校があり、その3校がひとつの中学に入学するそうです。娘さんは3月時点では小学生。娘さんの通っていた小学校だけが高台にあり、被災を逃れたそうです。他の2小学校は焼けて壊滅状態。娘さんが通っていた小学校は現在、遺体安置所。ご両親は感受性の強い娘さんに対して、出来る限り恐怖や不安を与えないように、自宅ではそのことには触れないようにしている。ただでさえ、子ども達は通学時に壊滅状態になった町を目にしているから。彼女だけではなく、他の学生達も中学1年生になり、制服を着られることにあこがれや希望を頂いていただろう。大人から見れば、制服よりも教科書が無い事に意識が行くが・・・。