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☆「子どもの目・子どもの声」6月分一覧

2011-08-19

「子どもの目・子どもの声」は、個人情報保護のための最小限の修正を除き、すべて子どもから寄せられた原文のまま掲載しています。
太字やフォントの大きさ、「!」等についても一切追加や削除、編集は加えておりません。誤字や意味が通じにくいところもあるかと思いますが、ご了承ください。

  • ぼくは、いつもよりおおきいじしんで、おひるねのとちゅうでおきた。みんなでくらすにもどってぼうさいずきんをかぶっておやつになるのをまってた。なんかすごくどきどきしてて、おとうさんがはやくおむかえにきてうれしかった。でも、おかあさんがよなかになってもかえってこれなくて、なんかいもなんかいもゆれて、こわくて、おかあさんはなにしてるかなってさびしくなった。よなかにおかあさんがかえってきて、ほんとうによかった。でも、おかあさんがかえってこれなかったおうちは、ぼくよりもっとさびしくてしんぱいだとおもう。(とうきょうと・6さい)
  • 地震の後から、ゆれていなくてもゆれている感じがして、心がはらはらしてご飯が少ししか食べられなくなった。おかわりとかぜんぜんできなくて、少なもりでも全部は食べられなくなった。ひばくするかも知れないと聞いて、私の体もはだしのゲンみたいに、動かなくなってかみの毛がぬけたりするのかな、死んじゃうのかなと思うとこわくなった。まだ8歳なのに死ぬのはいやだなと思った。宮城から避難してきた子が学校にいるけど、大変だっただろうなと思った。でも家族みんなで逃げてきたから良かったと思った。(東京都・小学3年生)
  • ぼくは練馬区の小学校に通っています。東北関東大震災で少しだけれど被災しました。今ぼくは、福島のみんなの事を思うと胸が痛みます。先生が「福島の子どもは校庭でも遊べないんだよ。土が汚染されてるからね。みんなは、幸せだね。」と言っていました。ぼくも、本当にそう思います。でもぼくたちだけが幸せなのは、本当の幸せではないと思います。日本全国のみんなが幸せでないと本当の幸せとは言えないと思います。(東京都・小学5年生)
  • (地震の時は) いやなきもちだった。(ちばけん・4さい)
    お母さんより・・・テレビや携帯の緊急地震速報に過敏に反応ししがみついてました。
    俺が地震やっつけて母ちゃん守ってやる!!と言っていくれました。
  • (地震の時は)何が起こったのかわからない、怖いと思った。
    食料不足で給食が出なくておにぎりだけのお昼ご飯だったので早く元に戻ってほしいと思った。放射能が怖い。
    がんなどの病気になるのが怖い。(千葉県・小学3年生)
  • 地震が来たとき、壁の画鋲が落ち、入り口の引き戸が開けても揺れで閉まってしまう。
    それを見て怖くて逃げられないと思った。泣いているお友達やキャーキャー騒ぐ子もいた。私は困っていた。怖くて動けなかった。一旦、外に非難したが、帰りの支度をしに教室に戻ると、2度目の大きな地震が来た。机の下にすぐ隠れたが、机の上の鉛筆や紙が揺れで落ちてきた。『もう逃げられない、ママ、さようなら』と何度も思った。ママが迎えに来たとき、ママが無事でよかったと思った。
    (お母さんより)
    幼稚園からの帰りの車の中では、緊張から固まってしまいまったく笑顔が見られなかった。話しかけても表情がなく顔が引きつっていた。緊急地震速報がTVや携帯から流れると、身体をがたがた震わせて、手に汗をかき、親にしがみついて離れなくなる。その様子は現在でも続いている。1ヶ月ほどして、父親と入浴中に、『パパ、誰にも言わないで。○○(←名前)ね、地震のとき死んじゃうと思ったんだよ。もうみんなに会えないと思った』と話していた。いつ地震が来るか解らない不安から、今でも1人でトイレに行ったり、別の部屋に物を取りに行くことができないでいる。(千葉県・小学1年生 被災当時は幼稚園年長)
  • 友達と近所のショッピングセンターで遊んだいたときに地震が来た。揺れを感じるとすぐに停電し、店の中は真っ暗になり、小さな非常灯を見ながら外に避難した。斜めに床が揺れているように感じ、人の話し声が多く聞こえ一番先に店の外に出た。揺れがひどかったため建物の倒壊を恐れ収まるのを待ち、自転車でショッピングセンターを出た。携帯電話を持つ大人たちが津波の話をしていたため、海よりの家には戻らず、避難場所に指定されている広場へ向かった。道路は信号が消え、人々は怯えていた。向かう途中で大きな余震が来た。すぐに自転車を降り、しゃがんで揺れが収まるのを待った。あまりの地震の大きさに日本が終わると思った。夜中中停電が続き、早く普通の生活に戻りたいと思った。夜は怖くて洋服を着たまま寝た。逃げることばかりを考えていた。地震の影響で、小学校の体育館が倒壊の恐れがあり、1週間後に行われる予定の卒業式が小学校できなくなってしまった。中学校の体育館が借りられ、予定通り卒業はできたが、大事な卒業式がつぶされたような気持ちになった。(千葉県 中学1年生 被災当時は小学校6年生)
  • (地震の時は)  怖い。家の前の空き地で、1人でボール遊びをしていた。ゆっくりと地面が揺れ始め、だんだん大きくなり、電線が大きな音を立てて揺れた。 揺れがなかなか収まらず、船に乗っているよな感じになり、気分が悪くなりそうだった。心臓がどきどきして落ち着かない気持ちになった。家が崩れるような感じがして、怖くて怖くて仕方がなかった。
    学校で福島の子どもが他県に避難して、放射能のことでいじめにあった話を聞いた。別に自分がしたことではないのに、とてもかわいそうだと思った。地震や津波の夢を見て、目が覚めることがある。津波の映像を見ると地震のときを思い出す。心が深刻な状態になる。なぜ、地震がおきたのか?なぜ地震が起こるとこんなに怖い気持ちになるのか? が知りたい。地震の後、TVで繰り返し流されたCMの曲を聴くと、突然不安になったり、地震の事を思い出す。背中がゾワゾワして、鳥肌が立つような感じがすることがある。(千葉県・小学6年生)
  • 地震が起こる少し前から、野生のたぬきや猫が変な声で鳴いているのを聞いて、気持ちが悪く変な感じがずっとしていた。めっちゃ怖かった。おばあちゃんと2人でお芋の苗を植えていた時に、がたがたと音を立てて地面が揺れ始めた。とてもびっくりして、こんなに大きな地震は初めてで、やばいと思った。こんなに揺れると家が崩そうで、神様に『お願いします。家を崩さないで』とお願いした。(地震が起こってから) 教室の中の雰囲気がおかしくなってきた。みんなが騒がなくなり、いつもシーンとするようになった。それを見てとても変な感じがした。先生はいつもと変わらず、普通に授業をしていた。何でああいう地震が来るの?  普段と周りの様子が違うのはなぜ?また地震がきたらどうしようと思うことがある。(千葉県・小学3年生)
  • 家の2階で1人で本を読んでいた。すぐに停電がおき、収まらない揺れに「やばいな~」と思った。外に逃げるとき、遊びに来ていたおじいさんの手を引いて家の前の空き地へ一旦非難した。カーラジオで、地震の一報を聞いたとき、『でかいな、やばい』としか思えなかった。地震の後、近所の人の姿が急に見えなくなり、非難を呼びかける防災無線だけが聞こえるが、まったく情報のない中で、どのような行動をしたらしいのか分からずとても不安だった。津波のために避難した友達が多くいる。特に変わった様子はない。震災後2週間が過ぎ、所属する野球のクラブチームのみんなと、近くの被災した町に災害ボランティアに参加。僕は個人宅の家の片付けを手伝った。壁についている水の後が2M近くあり、ここにいたら命が助からないと思った。ガラスが庭に散乱し、畳の部屋は海水でぬるぬるして、魚の死骸が大量に打ち上げられていた。帰るときに家主にありがとうと言われ、できることがあればまた手伝いたいと思った。今でも、地震が来るとやばいと思う。電気がつかない、音の聞こえない世界はとても不安で怖かった。(千葉県・中学3年生)
  • じしんのつぎのひ、おばあちゃんちにいったら、とけいがおちてて、ばらばらになって、とまっていた。とけいがとまっているのははじめてみた。そんなにゆれたんだな・・・とおもったら、こわかった。おばあちゃん、ちゃんとてーぶるのしたにかくれたかな、おばあちゃんちにはぼうさいずきんがないから、かわいそうだなとおもった。(とうきょうと・4さい)
  • 地震から三か月たった。今はあまり余震が来なくなった。大地震のあと、だんだん食欲が出てきて食べられるようにはなったけれど、やせ過ぎちゃったので、まだもとの体重にはもどっていなくて、弟と同じ体重。早くもとの体重に戻りたい。みんなの文章を読んで、千葉は東京よりすごく揺れて大変だったんだなと思った。私の学校の牛乳は千葉工場で作られているから、二週間くらい牛乳が給食に出なかった。こんなことは初めてだった。千葉のみんなの生活はもとに戻っているのかな・・・。(東京都・小学3年生)
  • ほうしゃのうがでたってきいたとき、ほうしゃのうってなにかなっておもった。おかあさんがあめのひにぬれないようにしてっていった。だからこぶりでもレインコートもきてかさもさした。でもとうきょうのあめよりみやぎのあめのほうがたいへんだとおもった。おにぎりいっこしかでないっていうのも、たいへんだとおもった。ぼくだったらおにぎりいっこじゃおなかいっぱいにならないから、がまんしなきゃいけないのかな、おなかすいてもがまんするのかな、そんなのいやだなとおもった。つなみもはじめてきいた。うみってこわいんだなとおもった。おかあさんやおとうさんがしんじゃったら、ぼくはどうなるんだろうっておもった。(東京都・6才)
  • 私は、現在福島県外の大学に通っています。入学する前から、就職は福島に帰ろうと思っていました。そして今年4年生になり、いざ就職活動に移ろうとするなか、今回の地震が起こりました。そして原発の事故が起こりました。
    今まで地元に戻り就職しようと考えていましたが、今は悩んでいます。その理由はもちろん原発のことです。
    問題視しすぎだよ、という友人もいますが、そうでしょうか?
    私は結構ポジティブな方ですが、今回の原発事故は、「いつかどうにかなるよ」と明るくポジティブに考えられません。なぜなら、もし今何も考えず元からの考えどおりに、福島に就職したとて将来甲状腺がんになったら確実に「あの時やっぱり別のところで就職していればよかった」と後悔するにきまってるからです。
    もちろん、人間は誰しもがんになりうるし、原発の事故が無かったらがんにならない、というわけではありません。それは知っていたとしても、もし自分が将来がんになった今回の原発事故のことが頭をよぎるのは確実です。
    わたしはそんな風に後悔したくありません。なので悩んでしまいます。宮城や岩手など、今回の震災にあった他県はどんどん復興活動が進んでいる中、福島は原発問題により、避難地域などの時は止まったままです。3ヵ月も経っているのに・・・。
    なぜこんなことが起こったのでしょうか。
    なぜ福島で起こったのでしょうか。
    毎日ニュースでは原発のことを取り上げていますが、毎日見ていてもなにも良い方向に進んでいないように思います。3ヵ月経った今もどんどん状況は悪化しているようです。
    メルトダウン?なにそれ?メルトスル―?なにそれ?
    今回の原発事故により、原発の構造や仕組み、放射線についてなど初めて知ったことがたくさんあります。
    知識が増えたことを喜ぶべきですか?  知識が無かった自分を恥じるべきですか?  こんな知識知らなくて良かったはずなのに・・・・。
    私はまだ21歳ですが、将来自分が産み育てるであろう子どもにはこんなこと知る必要がない日本になっていてほしいです。

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