HOME > 子どもの目・子どもの声月別一覧 > ☆「子どもの目・子どもの声」7月分一覧

☆「子どもの目・子どもの声」7月分一覧

2011-08-19

「子どもの目・子どもの声」は、個人情報保護のための最小限の修正を除き、すべて子どもから寄せられた原文のまま掲載しています。
太字やフォントの大きさ、「!」等についても一切追加や削除、編集は加えておりません。誤字や意味が通じにくいところもあるかと思いますが、ご了承ください。

  • 今、学校に行くのに、交通手段がバスしかなく、バスの本数がすくなく満員でのれなくなり、また1時間待たなくてはなくて、とても不便です。帰りは、一本遅れると、帰り道、真っ暗になり、街灯の無い瓦礫の中を帰ってくるねは、女子には、怖さを感じます。お母さんは、仕事が、遅くに終わるので、迎えにも来れないし、安心して通学できればいいのにと、いつも、思っています。
  • 交通網が回復しなくて、子ども同士で行ける場所が少なくなった。(岩手県山田町・中学3年生)
  • 運動できる広い場所が欲しい。ボールの壁あてとか。
  • 中学校の先生やみんなも疲れてきてるから、リラックスできるようなことがあればいいな。(岩手県山田町・中学2年生)
  • 小さい子どもたちの遊び場所がとても少ないので、集まれる場所がたくさん欲しいです。(岩手県山田町・中学2年生)
  • 町の公園が少なくなってきていて困っている。町の復興を願って自分からでもできることがあれば手伝いたい。ひとつの場所でも良いですから、子どもたちが遊ぶ所を作ってほしい。(岩手県山田町・中学2年生)
  • ずっとがれきがたくさんあるままだと、自分の気持ちが不安になって、いつも通り学校で楽しく会話できないので、1分1秒でも早く、前の山田に戻して欲しい。(岩手県山田町・中学3年生)
  • 毎日暑いのに長袖長ズボンにマスクをして学校に行ってます。学校では鼻血を出す友達がいます。早く学校にエアコンが付くといいなと思います。
  • 山田町には給食が無いので、給食が出ればいいなあ。(岩手県山田町・小学2年生)
  • 私はこの震災で多くの財産を無くした者の一人です。魚介類の加工関係の仕事をしていた両親も職を失い、親子共々、慣れない生活を送っています。私は最近、高校にいらした薬師寺のお坊さんの講演を聞きました。私はそれまで、「私は被災者なんだ」とか「早く復興すればいいのに」とか他人事のようにこの震災復興の事を考えていました。しかし、お坊さんは「被災者だからといって、他人事のように見ていてはいけない。自分から復興しようという意志を持たなければいけない。」とおっしゃっていました。私は今まで、自分勝手な考え方しかしていなかったのだと思いました。これからは震災復興に対する考え方を変え、自分ができることを見つけていきたいと思いました。(岩手県山田町・高校2年生)
  • 私のお母さんの友達が福島に住んでいて、その夫が原発の作業員なのでいろいろと情報がくるんですけど、原発が本当にヤバい状態らしいので心配です。あと、そのお母さんの友達の近所の人が政治関係の仕事をしているので政治家の人達がかくし事をしているのが分かりました。(岩手県山田町・中学2年生)
  • まず、菅総理を辞任させて復旧や復興をしっかり進めてくれる人を総理にしてから、復旧、復興をすすめれば、効率よくできると思う。それと被災者のことを考え過ぎて、楽しむ行事をしない観光地などがあるが、ばんばんやってほしいと思う。そうすると、被災者も笑顔になれるし、被災していない人もストレスがたまらなくなっていいと思う。(岩手県山田町・中学1年生)
  • 今回の津波を経験して、つらい事や悲しい事がたくさんありました。しかし、その中で人の優しさという温かい物を私たちはもらいました。この環境の中ですごしていくのは普通にしようとしても以前よりも大変な事がたくさんあると思います。だからといって、あまい事はいつまでも言ってられないです。未来を信じ自分を信じ、協力してこれからを生きたいです。(岩手県山田町・中学3年生)
  • 今、私の小学校では、四校合同(吉里吉里小、安渡小、赤浜小、大槌北小)で授業を受けていますが、協力しあう生活をしています。なので、被災した人たちで協力しあい復興を目指していきたいと思います。(岩手県山田町・小学5年生)
  • あの時の災害で一人一人の心にキズをおいました。私も、おじいちゃんとおばあちゃんを亡くし、今はひなん所でくらしています。その中でも、お年より達の笑顔をみていると、負けられないなといつも思います。この災害は私にとって大きなチャンスであり、変われる時なんだと思います。私達の行動が、少しでもみんなの笑顔につながれば、うれしいです。(岩手県山田町・小学6年生)
  • 早く山田に戻りたい!!家が流されてしまい、とても悲しい思いになったけど、家族みんなが助かって本当によかったです。家が津波で流されて今は宮古に住んでいます。山田が一日でも早く復興してほしいです。そして、早く山田にもどりたい。(岩手県山田町・高校1年生)
  • ひがいにあっていない公園まで全部かせつ住たくがあって遊ぶ場所がなくなって、ざんねんです。しんさい前よりもっと楽しいところになってほしい。(岩手県山田町・小学4年生)
  • あそぶところがほしい(岩手県山田町・小学2年生)
  • 今回の地震・津波をけいけんして、危機感を常に持っていた方がいいと思いました。家は高だいにあるけど学校は、ていぼうがなくなったので次の大きな地震では、津波がくるかもしれないからです。(岩手県山田町・小学6年生)
  • たくさんの物を失ったり、流されたりしたが、今こそ力を合わせて立ち上がるべきだと思う。人は力を合わせれば何でもできると思う。(岩手県山田町・中学2年生)
  • 私の家は、津波の被害を受けたわけではないけれど、いろんなところからの支援してもらい、とても助かりました。私も、この東北のために、できることはしていこうと思います。(岩手県山田町・中学1年生)
  • お父さんとお母さんの仕事がなくなった。お父さんはたくさんのめんきょをとっていままでとはちがう建設業についた。お母さんは、家から歩って5・6分のところの仕事についた。お父さんはすごくひにやけた。(岩手県山田町・中学1年生)
  • 山田町には給食が無いので給食がでればいい。(岩手県山田町・小学2年生)
  • 仕事ができる事が幸せ。
  • 辛い時、悲しい時は、今後の事、将来の事を考えて前へ進んでいきたい。辛い、悲しい余情にひたっていても前へは進んでいけないと思う。今後の未来を担う私たちが今できることは、学生であるからこそ勉強だと思うので、勉学に励んでいきたい。(岩手県宮古市・18歳)
  • 私は津波で家が流され、仮せつ住宅に住んでいます。しかも、学校の校舎は半分仮せつ住宅に使われています。十分にあそべていないし、私の好きな事も少ししかできません。できれば、子供が十分遊べる土地、スーパーマーケット、本屋などをたててほしいなと思っています!(岩手県山田町・小学6年生)
  • わたしたちの小学校は津波でつかえなくなりました。津波の日は図工室にいて大きなつくえの下にかくれた時に近くでりんごのガラスがわれました。先生の指示で山にあがる時、後ろから津波がおいかけてきました。夢かと思いました。初めてこういうこうけいを見ました。生まれて、最初で最後だといいなぁと思いました。はやく元の山田にもどり、前のとても楽しい山田にもどるとわたしは願っています。(岩手県山田町・小学6年生)
  • わたしの家のしんせきの家に、つなみがきました。わたしが、かよっている学校も、つなみがきました。救えんぶっしがいっぱいきてありがたいなぁと思ってます。外国のほうからは、千ばづるがとどいて、あんな遠くからありがたいなぁと思ってます。早く山田町○○(←地名)をふっこうさせたいです。(岩手県山田町・小学5年生)
  • つなみがきてからはじめて山田町を見て見たらすごかったから、じえいたいやこうじをする人がたいへんだと思いました。がんばれといいたかったです。(岩手県山田町・小学2年生)
  • ぼくはつなみをまじかで見ました。こんなつなみをはじめて見ました。多くの人がなくなっているけど、ぼくは、その人たちのぶんもがんばろうと思いました。早く、もとの山田にもどってほしいです。(岩手県山田町・小学3年生)
  • 災害、ふっこうで、びょう同に進めた方がよいと思う。テレビで見たけど、政治の方がもめていたら、ふっこうが進まないで、予定より、おそくなるかもしれないから、もめている場合じゃないと思います。(岩手県山田町・小学6年生)
  • つなみの時こわかった。ものがいっしゅんでこわれていった。山田のふっこうはあと10年ごといわれていますが10年まえにふっこうしてほしいです。(岩手県山田町・小学3年生)
  • 被災地の人たちは色んな思いで毎日を生きているが、ほかの被災にあっていない人たちはふつうに毎日を生きている。被災がなかった県から色々物資をもらってきたが、年が経つにつれて、大震災の事が風化されてしまうんじゃないかと思う。だから今風化される前に被災地のためにも何か自分でできる事を見つけて毎日がんばっていこうと思う。(岩手県山田町・高校1年生)
  • 公園や学校の校庭にかせつじゅうたくがたったからあそぶ所がなくなった。つなみがこなければこんなことにはならなかった。さみしすぎる。(岩手県山田町・小学3年生)
  • 山田町まちをげんきにする。(岩手県山田町・小学1年生)
  • 公園にかせつがたってあそぶところが少ない。(岩手県山田町・小学5年生)
  • はやくふつうの家にすみたい。かせつはあつい。家がすっかりなくなりショックです。(岩手県山田町・小学3年生)
  • 早く、工事(がれきてっきょ)も、おわって早くもとの生活に、もどりたい。(岩手県山田町・小学3年生)
  • はやく山田町をきれいにしたい。(岩手県山田町・小学1年生)
  • 他の県の人達は、この状況をテレビでみたかも知れません。しかし、岩手県・宮城県・福島県では、テレビで伝えていることよりもっともっと大変な思いをしています。家が流され、家族を失った人たちがたくさんいます。口では簡単に「すごいね」「ひどいね」「大変だね」って言えます。この東北区のひがいを受けた人たちは笑顔でいても、心の中ではつらい思いをしています。なので、簡単にながさず、一緒に復興の手助けをお願いします。(岩手県山田町・中学3年生)
  • 僕は山田町に住んでいますが山田町もとても大きな被害を受けました。僕はこの山田をまた元気で明るい町にしたいと思います。そのためには他県の方々の協力が必要です。どうか協力してください。お願いします。日本全体で東日本大震災に負けず頑張りましょう。(岩手県山田町・中学1年生)
  • 一小がはやくもとにもどってほしいです。(福島県・小学5年生)
  • 勉強などがしやすい環境が早くもとにもどってほしいです。(福島県・中学1年生)
  • ずっとあそんでいたいです。(福島県・小学2年生)
  • 原発を止めろ。郡山に野球の選手が来た。その時も放射線がいっぱいだった。俺の好きな選手がいた。本当は試合をしてもらいたくなかった。ファンには悪いけど。
    1年間に20ミリシーベルト浴びる? 俺たちの将来も考えろ。
    大人たちは30年ぐらい経ったらもう生きていないこともあるかもしれないけど、
    俺は10歳だから、30年後は40歳、俺はまだ生きられる。
    なのにそんな時にガンになってられるかよ。
    俺は今岩手にいる。盛岡市の小学校に行っている。
    本当は郡山の学校のみんなに会いたい。
    本当は帰りたい。でも、あの時、お母さんが「危ないから」と言って、僕は岩手に行った。
    本当は帰りたい。みんなを岩手に連れてきたい。
    岩手にも友達がいるけど、正直言って、郡山の友達の方が好き。
    ビックアイに行きたい。喜多方ラーメンも食べたいな。(福島県・小学4年生)
  • 津波で家が流された人がかわいそうです。原発はいつ終わるんですか?ボクは、原発が早く終わって欲しいです。地震の被害にあった人が、今何をしていて、避難所はどこいるのか知りたいです。津波や地震がもう来ないで欲しいです。(福島県・小学2年生)
  • 太陽光発電にしたいです。
    マスクをするのがイヤです。
    芝生で寝っ転がったりしたいです。
    プールで毎日泳ぎたいです。
    長袖を着るのはイヤです。
    家に閉じこもるのはイヤです。
    原発反対!
    (福島県・小学3年生)
  • また地震が来るのかどうかが心配。前の卒業生の卒業式が地震でできなくなったから、自分の卒業式も地震でできなくなるのではないかと心配です。(福島県・中学3年生)
  • 原発事故が起きてしばらくたって、今は子供たちでさえ放射能の怖さを知っているのだから、政治家は責任の押し付け合い、揚げ足取り合い、無責任な文句の言い合いばかりの無駄な「会議」をいい加減にやめて、少しはまともな対策を取って欲しい。(福島県・高校3年生)
  • 早く校庭で遊びたいです。プールにも入れません。(福島県・小学5年生)
  • 校庭で遊べたらいいのにな。マスクは暑くて苦しいです。長袖では暑いです。外で体育やりたいです。(福島県・小学2年生)
  • 早く原発も終わって欲しいし、早く自分の家に帰りたい。(福島県・小学4年生)
  • 早く友達に会いたいです。(福島県・小学6年生)
  • 原発に頼らない世の中を作りたいと思います。(福島県・小学6年生)
  • 早く自分の家に戻りたいし、福島の友達に会いたいです。(福島県・小学4年生)
  • 何で散々「がんばれ」とか、「負けるな」とか言って安心させて、避難すると差別するんだろう?
    そんなのひどいじゃん。
    政治家の人たちも、「原発を一刻も早く落ち着かせる。」とか言ってテレビに出るのなら、貴方がやればいい。
    上から指示して自分は安全なところにいるって・・・・・・。
    原発もはやく落ち着かせてほしいけど、差別もどうにかして欲しい。
    放射能が空気感染するわけないのに。
    福島県や、宮城、岩手などの人もがんばってるのに、笑ってるのに心はズタズタ。どうにかしください。
    原発と真剣に向き合ってください。
    それが私の願いです。
    元の福島に戻ってほしいです。(福島県)
  • 支援を公平にしてほしい。東京電力の偉い人は責任をとり、原発を早く止めてほしい。放射線を気にしないで、プールに入ったり、外で遊んだり、美味しいものが食べたいです。(福島県・10才)
  • オレはいま、岩手にいる。
    福島から逃げてきた。
    オレのうちは避難区域ではないけど、お母さんが「危険だ」と言うから逃げた。
    震災のときオレは学童保育にいた。
    急に揺れてびっくりした。
    保育園には赤ちゃんもいた。
    オレは必死で守った。
    あのとき、オレに絵本を読んでくれって赤ちゃんが本を持ってきた。
    でも、まだ読んであげてないんだ。会ってもいない。
    そのときは岩手に来ることになるって知らなかったから。
    福島に帰りたいよ。
    でも、帰っていつもの教室に行ったら「裏切り者」と言われそうでイヤだ。
    オレだけが逃げたから。
    原発を止めろ。
    放射線は30年後とかにガンになるんだって。
    大人はたくさん生きないからいいかもしれないけど、子どもの未来のことも考えろ。
    オレが40歳になったときのことも考えてくれよな。
    福島にジャイアンツの選手が来た。
    オレは試合を見に行けなかったけど、オレのチームメイトは見に行った。
    チームメイトに被ばくしてほしくなかった。
    ラミレスにほんの少しでも被ばくしてほしくなかったんだ。
    だって、ラミレスは巨人の監督になるのが夢だって言ってたんだ。
    本当は試合を中止してもよかったんだ。ジャイアンツファンには悪いけど。
    去年は、新しくなった球場で楽天の試合を見た。
    オレが高校生になったらあの球場で試合をしたいと思ってた。
    でも原発のせいでがっかりだ。
    あぁ、喜多方ラーメン食いたいなぁ。
    (福島県・小学生男子)
  • このまえ雨が降っている日に中学生がコンビニの前で傘もささずにたむろっていたけど、大丈夫なのかな?って思いました。でも、そんな自分も最近はあんまり放射線のことを気にしていません。慣れてしまったのかな・・・やっぱり気にした方がいいのかな。他の県の人たちは気にしないで生活できるんだよなあって思うとなんか悲しくなりました。(福島県)
  • みんな最近放射線に対しての危機感が薄れてきてる気がする。
    でもそれってあたりまえなのかなーとも思う。だって、あたしも考えなくてすむなら、行動しなくて済むならできるだけ何もしたくないし。だから放射線対策しなくちゃいけないっていうのは頭ではわかってるけど、でも何もしてない。でももし何十年後かに甲状腺がんになったらきっと放射線のせいだってなって、あの時なにも対策してなかった自分に後悔するんじゃないかとも思う。
    もしそうなったらきっと後悔するけど、でも今は暑いし節電しなきゃだから窓開けてるし、洗濯物も外に干してるし料理をしたら換気扇回してるし。今行うべき事って何なんだろう。(福島県)
  • 放射線のことなんか気にしないで外で好きなだけ遊びたいよね
    なんでこんなことになったんだろう。私たちそんなに悪いことしてきたのかな?(福島県)
  • そういえば、原発の事故が起こってすぐは放射線のことを気にして毎日マスクとかしてたけど、最近は全然気にしてないなあ・・・(福島県)
  • 放射線って目に見えないし、匂いも無いし、しかも健康に影響でるのが今すぐじゃないから未来の自分のために対策しなくちゃって言われても、なんか実感わきにくいし・・・・難しいよね。(福島県)
  • まど開けるし、雨も気にしなくなっちゃったな。なんかもうどうしようもないかなって思う。
    自分は良くても、いつか自分が子どもを産むってなると子どもがかわいそうだし、自分も大変なんだよね。ホント、わかってても何もできないなあ・・・(福島県)
  • 福島と郡山の市民合わせたら60万人以上で、本宮とかも合わせたらかなりの数・・・東北道も東北新幹線もあるし、避難にはできないよね。もう福島県民は見捨てられてるのかも・・・ここで生きていくしかないのかな・・・。(福島県)
  • 放射線量って日に日にたまっていくはずだから計画的避難区域の地域が増えるような気がするんだけど、あれから音沙汰なし。福島と郡山の人口が多くて避難させるわけにいかないっていう話やっぱり本当なのかな・・・。(福島県)
  • 【避難所ボランティアの方から】
    わたしは避難所にボランティアとして行ったとき、福島から避難してきたある親子と出会いました。
    一歳ちょっとの男の子と、20歳くらいのお母さんでした。
    その親子は、福島から家族で避難したけれどその避難所にはオムツなどがなく、子どものために二人だけで新潟の避難所にきたのだと話してくれました。
    お母さんはわたしと変わらないくらいの年…。お母さんの服は毎日同じなのに、こどものヨダレかけや服は毎日新しい…。
    誰も知り合いがいない中でまだしゃべれないこどもと二人きり…。お母さんの気持ちを想像するととても胸が痛みました。
    今でもこの親子がどうしているのか気にかかっています。わたしにはつらさを想像することしかできません。
    だけど、あんなにこどもを思っているお母さんとあの赤ちゃんが安全で安心できる生活をおくることができるようにこころから祈っています。

↑ページトップへ

Copyright© 2011 東日本大震災子ども支援ネットワーク All Rights Reserved.