☆「子どもの目・子どもの声」8月分一覧
2011-08-19
「子どもの目・子どもの声」は、個人情報保護のための最小限の修正を除き、すべて子どもから寄せられた原文のまま掲載しています。
太字やフォントの大きさ、「!」等についても一切追加や削除、編集は加えておりません。誤字や意味が通じにくいところもあるかと思いますが、ご了承ください。
- 福島県は助かるのかな。
被災者も助かるのかな。
原発は落ち着くのかな。
いわきの人たちは大丈夫かな。
自分は将来県外の人に受け入れてもらえるのかな。
そんなこと考えてると、将来なんて「無いモノ」に見えてきちゃう。
大体、福島県民は、まきぞいくらってるだけなのにさ。
「放射能がうつるって」酷過ぎるでしょ。
散々正義ぶっといて。
散々同情しといて。
自分が危なくなったら悪?
おかしいね。
だったら最初から同情しなければいいのに。
そんなに被災者馬鹿にして面白いんだ。
まぁ、いいんだけど。
期待なんてしてなかったし。
けど差別は酷いよね。
福島県はどうなるんだろうね。
この先まだまだあるのにね。
受け入れてもらえなかったらどうなるんだろうね。
福島助かると良いね。
政治家が早く対処してくれればね。
原発作業員の方々もがんばってるのにね。
福島県民がどれだけ傷ついているのかわからないんだよね。
ひどいね。
ひどいよ。
これ書いてる間も差別にあってる人がいると思うと自然に泣けてくるね。
人の気持ちわかんないなんて。
ひどいね。
・・・・・ひどいよ。 - 今回の震災のせいで東北地方が大変な事になりました。募金を集めたりして震災被害者を助けようとしていますが、東北地方の人や東北地方以外の人が今被害を受けています。
私の母は東京電力で働いているのですが、震災による原子力発電の被害のせいで、母の給料もボーナスも減ることになりました。それに加え、国が資金に充てるという理由で税金を上げました。物を買うのは震災被害者も同じだし、ただでさえ震災のせいで仕事ができないところもあるし、母のように給料の減った人もいるだろうと思います。それなのに税金を上げて、募金した資金もちゃんと被害回復に使用しているのかも微妙なところ…。日本のトップに立つ人は何をしているのでしょうか?国会議員を減らし、その議員に充てる給料を募金した方がよっぽどいいと思います。(千葉県・高校2年生) - 日本政府と東電の対応の遅さと態度に腹をたてています。東電は原発の責任者でもあるのに原発が爆発しても何もしてない。
日本政府だって子どもたちは地球の宝物、子どもたちのために美しい未来を作る!とか言っておきながら何もしてないし・・・
美しい未来どころか私たちには未来はあるのか?というような政治ばかり。
脱原発話だっていつになっても決まらない
私たちのことを考えているのであれば脱原発をすべきだ!
今の政治家や偉い人たちはうそつきだと思う。(福島県・中学生) - 福島第一原子力発電所が爆発で1号機から4号機まで屋根が吹っ飛んだりしてたくさん壊れました。
放射線がたくさんででいるのに、そこで命がけで働いている人がいます。
私にできることはなんだろうと考えました。これまでは宿題を後回しにしたり、部屋を散らかしたままにしていました。
原発で働いている人や、不自由な避難生活をして人のことを思ったら、これからは目の前にあることをすぐにやるようにしたいです。(福島県・12歳) - 震災から4か月 福島県民はいまだに放射線の不安を日々感じ生活しています。高校生の私は将来への影響が心配で仕方ありません。政府の説明はただちに影響はでない・・・ばかり。除染も遅れる中、子どもの健康は守れるのか、強い余震が続く中、心配なことだらけで、勉強が手につきません。(福島県・16歳)
- 私の通っている学校では校庭の土を削る作業をしています。削れば数値が低くなるというが、また雨が降ったらどうなるのだろう。
そして、削った土を早くどこかに運んでほしい。私は震災後外では遊んでいない。不安な日々を過ごしています。(福島県・11歳) - 今回の地震で原発の問題が浮上して初めて福島のどこに原発があるかを知りました。あと、原発のしくみとか放射線の種類とかなにが危険なのかとか、今回問題になって初めて知りました。それに、日本はかなり地震が多い国なのに、こんなにも原発が沢山あるという事も初めて知りました。自分の県のことなのに、こんなにも何も知らなかった自分が少し恥ずかしいです。
今まで原子力発電というものを推奨していたわけではないけど、否定していたわけでもなかった。原発に対して私は「無」でした。問題視したことも無かったし、正直どうでもよかった。けど今回のことで今まで私はあまりにも無責任だったんじゃないかと思いました。もっと、こういう原発問題とかそれ以外の社会的な問題に対して自分の中でリアルに考えたいと思います。(福島県・大学生) - 今回のことで、「反原発」とか「脱原発」とか「減原発」とかなんとなくだけどそういう方向に流れが向いて行ってるっていうのはいいことだと思う。今回のことで改めて思ったけど、人間って「何か」問題が起こってからじゃないと対処できないよね。今回の地震で確かに原発問題で本当にたくさんの人が困ってるけど、今回のことが起こったからこそ反原発的な流れになったのは今後の日本にとって良い流れな気がする。(福島県・21歳)
- 東日本大震災で本当にたくさんの人が亡くなった。そして福島は今も被害を受けてる。こういう歴史に残るような大震災に私自身が経験するとはおもってなかった。だけど、時間を巻き戻すことはできないし、無かったことにすることもできない。だったらいつか自分の子どもや孫とかに「あのときの地震があったから今はこうなってるんだよ」って伝えられるように復興してほしい。(福島県・大学生)
- 復興っていうのは建物をつくったり、町を元に戻すだけじゃなくて、自分の心の復興も必要だと思う。まずは自分の心を復興して何か自分にもできることがあれば世の中に貢献できたらいいなあと思う。(福島県・21歳)
- 色々考えなきゃいけないことはあるけど、今後の日本を良くしていくために今回の経験を無駄にしたくないね。(福島県・22歳)
- 私は新潟市に住む大学生です。春休みに新潟市にある避難所のボランティアに参加させていただきました。
そこで「おうちから原発が見えるんだよー」と教えてくれた子や、「おうちで一緒に住んでたねこちゃん、今は違うおうちにいるんだー」と話してくれた子など、たくさんの子どもたちと出会いました。その子どもたちは、みんな笑顔だったけれど、その笑顔の裏にはひとりでは抱えきれないつらさや悲しさ、寂しさが隠れているのだと感じました。
しかし、みんなで一緒にドッヂボールをして思いっきり体を動かしたり、けん玉で遊んだりしたことが、少しでもその子どもたちの心の支えになっていればと思っています。
そして、その子どもたちだけでなく、遊ぶ場所がなく今も苦しんでいる子どもたちみんなに、早く外に出て思いっきり遊べる場所が戻ってくることを祈っています。 - 大きい体育館がほしい 動けるグランドがほしい (岩手県山田町・中学1年生)
- 今の放射線の危険性として、ヨウ素がたまって甲状腺がんになるかもって言ってるけど、それって明日明後日の話じゃないんですよね。十年後、二十年後に甲状腺がんになったら国は対応してくれるんでしょうか?
「その時の総理大臣は私ではないので」とか「その甲状腺がんが原発事故で起こったと100%言い切れるのならば対応します」とかだったら私たちはどうすれば・・・・
そういうときの対応を今のうちにどうするか提示しておいてほしいな。(福島県・21歳) - 国の対応については確かに気になる。今、なんか政治は自分たちのことでいっぱいいっぱいでポスト管が誰とか本当にどうでもいいことばっかり。本当に被災地のことを考えてる政治家ってどれくらいいるんだろう?そんな人たちに「甲状腺がんになりました。対応してください」って言っても「前総理の対応なので、私は関係ありません」みたいなこと言われそう・・・・正直信用できない。不安だ~。大丈夫なのかな~? (福島県・18歳)
- 最近余震がまた増えた気がします。いつになったらおさまるんだろう。このまえ5弱と結構大きな余震が来ました。3月11日の地震を思い出してちょっと怖かった。それで、なんだか3月11日のことをどんどん忘れてる自分に気付きました。あんなにこわい地震だったのに、時間が経つにつれて記憶はどんどん薄れてる。地震の後スーパーで買い占めがおこってカップラーメンやティッシュが無くなったり、断水になった時のためにポリタンク買ったり、ガスが止まったらと思ってガスコンロ買ったりとか、懐中電灯のために電池買ったりとか・・・あとはガソリンが無くなって長時間スタンドに並んだり・・・そういうことちゃんと覚えておきたいと思う。忘れたくないと思う。(福島県・大学4年生)
- 私も忘れたくない!私は地震が起こった時目の前のバスがすっごく揺れてて倒れてくるかと思った。死ぬかと思ったよ。今も地震がおこった場所に立つと「あれ?揺れてる?」っていう錯覚に陥るくらい身体が覚えてるみたい(笑)あと、揺れがおさまってからの吹雪がはんぱなかった。まさにこの世の終わりかと思ったよ!ほんとあの日のことは忘れちゃいけないし、電気、水、食料の大切さを改めて痛感したね!これからもこの気持ちはわすれずにいきたいな!(福島県・22歳)
- この猛暑の中、長袖を着てマスクをしている幼稚園生・小学生を見ると放射線の恐ろしさを思い知らされます。
国は一刻も早く除染作業に着手して欲しいです。(福島県・16歳) - テレビで幼児と赤ちゃんを抱いて、母子だけの避難を決心したお母さんが映っていました。涙を流して悔しい思いを語っていました。
仕事や生活のため、父親と母子とは離れ離れの生活です。避難できない家族もいっぱいいます。
将来子どもの健康について後悔しないように、国はもっともっと除染に力をいれてほしいです。(福島県・17歳) - 先日、ニュースで夏休みを利用して九州に一時避難をしている家族のことをみました。その中で小学生5年生の女の子が「半袖半ズボンでマスクもしないで放射線のことなんか気にしないでこうやって遊べるのは嬉しい」と言って木登りをしたり友達と縄跳びをして遊んでいました。それをみた母親が「何よりもこうやって外で遊ばせてあげられて、子どもの笑顔を見れることが嬉しいです」と涙目で話していたのを見ました。
私が小学生のころは毎日外で遊んで、泥んこになって秘密基地とか作ったり泥団子作ったり、縄跳びや鬼ごっこ・・・ほんとうにいつも外で遊んでました。夏は半袖どころかキャミソールで遊んだりしていたと思います。夏休みは学校のプールに行くことが本当に楽しみでした。でも、今はそれが何もできないんですよね。できるだけ家の中で遊んで、外に行く時は長袖長ズボン、マスク着用で・・・・プールは屋内のもの・・・もしもこのままずーっと外で遊ぶことが制限されたままだったら、せっかく自然が豊かな福島で育ったのに、外での遊び方を知らずに育ってしまうのかな~と思うと寂しすぎます。私の子どもの頃の環境に戻してあげたいです。子どもの仕事は遊ぶことなのに、遊べない環境になってしまった。それが本当に残念です。(福島県・大学生) - 私が小学生の時は、汗だくだくで泥だらけになって帰ってきたら母親に怒られました(笑)でも、今の状況でもし私がお母さんだったら、放射線の影響が無い所に行った時に子どもが汗だくで泥だらけになってるのを見たら、それだけですごく嬉しくなるんだろうな・・・
子どもが外で遊べないなんて、本当に変な話だなーって思います。(福島県・21歳) - 山田町に初めて訪れた時、震災の跡はあったが意外と片付いている感じで、一歩ずつ、それが小さかったけれど、前進しているのだなと実感した。(岩手県山田町で活動中のボランティア・大学3年生)
- 震災の爪跡はすさまじかったのですが、それ以上に地元の方の震災による傷を感じさせない笑顔に驚きを感じました。少しでも早い復興を願っております。(岩手県山田町で活動中のボランティア・大学3年生)
- 宮古駅からバスに乗って数分、津波被害の大きさを知った。駅周辺の整備はほぼ整っているのに対し、住宅街などの片付けはまだ完全ではないようだった。家の土台や寸断された橋など、津波の爪跡が残る一方、海はおだやかでキレイだった。(岩手県山田町で活動中のボランティア・大学3年生)
- テレビなどで被害を見てはいたけど、やはり自分の目で見るとでは印象が違った。3階建てや2階建ての建物の1階部分がすっぽりなくなってしまっていて、まるで高床式の家のようになってしまって、津波の威力がすごかったんだと一目でわかった。これからどれくらい力になれるかわからないけれども、精一杯力になれるよう頑張りたいと思った。(岩手県山田町で活動中のボランティア・大学3年生)
- 少しでも早い復旧を願っています。(岩手県山田町・15歳)
- 津波の被害等はテレビで何度も見ることで知ってはいましたが、実際に見て息を飲みました。(岩手県山田町で活動中のボランティア・大学3年生)
- 戻ることはない。どう変わっていくのだろうか。それを作業中に考えていた。(岩手県山田町・高校1年生) ※ボランティア活動中にメッセージを寄せてくれました(担当者追記)。