シンポジウムに参加した子どもたちの感想(宮城)
今回のシンポジウムには二回目の参加となりました。前回は私達自身の生活もまだ苦しい状態だったので、支援物資のこと、瓦礫のこと、そして早く地元へ戻りたいという気持ちを伝えさせて頂きました。あれから一年、同じメンバーで何を発表するかを考えた時、町の新たな課題がスムーズに思い付かず、私達自身の心も無意識のうちに震災を風化しつつある事が身に染みてわかり、情けなく思いました。
そんな中、発表では、私達の将来と直接関連付けた話を中心に致しました。私達高校2年生は、来年には向かうべき道が決まります。それに伴い、これからどこに住むのか。どこで働くのか。家族の傍にいられるのか。など、私達の成長のスピードと町の復興のスピードがあまりにも異なるため、色々な思いが交差しています。
例えば私は、将来グローバル社会で活躍する仕事をする事が夢です。なぜなら、震災後にたくさんの国へ行かせて頂き、自分の視野を広げることが人生において大切だと気づいたからです。もちろん広い意味で復興に携わっていくつもりです。
しかしそのためには、県外の大学へ行かざるを得ません。いつまでも決まらない公営住宅などを待っている訳にもいかず、母は私のために一軒家を建ててくれました。そんな母や、震災で亡くした父と祖母、そして外国で出来たたくさんの家族に感謝の意を表すためにも、私は夢を叶えなければなりません。きっとすぐに叶う夢ではありません。しかし、いつになろうと、私のたった1つの故郷である南三陸町の復興と繁栄に携わりたいです。その気持ちは、今回共に発表をした3人も同じです。自衛隊や消防士、言語聴覚士など、形は違えどきっと私達の世代が将来様々な形で町を復興へ導くと信じています。
今回もこのシンポジウムに参加させて頂き、改めて自分達の進むべき道を明るく照らして頂きました。今の状況に絶望するよりも、未来に新たな希望を見て、生きていこうと思います。
(宮城県南三陸町 高校2年女子)
今回は、このような企画をありがとうございました。僕たちは登米市として行くことになり最初は、どのように言えばいいのかと思っており、とても不安でした。僕たちは被災者を受け入れる立場として参加しましたが、他の地域の状況を知って、罪悪感というものがさらに増していきました。
東京に着いて、初めてみんなと交流したときは、みんな明るくて、少し不安もなくなりました。東洋大で発表するときに、僕たちはいろいろ考えました。そこで大人の方々に相談したところ、やっぱり心の底から、思ったことを言えばいいということに気づかされました。僕たちは南三陸と一緒に意見交換をしたところ、 「罪悪感はなくていいよ。」と言われました。そこで気づきました。今はそんなことよりみんなで助け合うことが大切だということです。
来年また、このような機会があったら参加してみたいなと思います。
(宮城県登米市 高校1年男子)
今回の東京見学で私は、とても多くのことを学ぶことができました。まず東洋大学見学では、建物の高さや造り、内装などを見てとても驚きました。私は建築学を学びたいと思っていたのですが、その建築学部もあったので、 ここの大学に進学したいと思うこともできました。
次に、南三陸や山田町の人たちとの意見交換会でも多くのことを学ぶことができました。今まで私は、同じ県内なのにあまりに被害の大きさに差があったことに、申し訳ないと思っていました。しかし南三陸の人たちに、そんな罪悪感を持って欲しくないと言われ、津波被害にあった友達にそういった罪悪感をもたずに、今まで通り楽しく笑い合っていこうと思いました。
最後の一日は東京タワーに行ってみたりと、普段行けない場所に行けて、思い出も沢山できました。今回は東京にお誘いいただき本当にありがとうございました。
(宮城県登米市 高校1年男子)