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シンポジウムに参加した子どもたちの感想(福島)

2014-03-11

今回の東日本大震災子ども支援ネットワークのシンポジウムに参加し、改めて福島県の今後の課題を考えることが出来ました。その中で、大変ショックを受けたのは、大震災が風化しているという事実です。「体験していないから分からない」という声が聞かれましたが、それ以上、何を想っているのでしょう。被災地の現実が伝わらない事実に、悲しく思いました。
だからこそ、福島にいる僕たちが、発信していく必要があります。そして、今回のような機会があり、嬉しく思いました。「楢葉町の未来は、まだ、見えない」と言い切ってしまうような情報に左右されるのではなく、僕たちの真実の声を聞いてほしい。楢葉町の未来は、僕たちで変えます。課題を与えて頂き、ありがとうございました。
(福島県楢葉町 中学3年男子)

同年代の人たちの意見や現在の状況を聞いて、復興までの遠い道のりを感じました。原発事故の影響で、様々なことになかなか手が出せない状況に陥っているということだけでなく、僕たちの意見が町に反映されないということも、復興を妨げている要因のひとつのように感じます。
最終的に、日本の復興は、僕たち世代が為し得るのだと思います。僕たちの未来は、国や町に判断されるのではなくて、自分自身の強い意志で変えていきたい。それは、福島県民だから負う責任ではなくて、僕自身が、望む未来です。
道のりは確かに遠いけれど、僕たちはこの震災から、僕たち自身の可能性を教えてもらうことが出来たように思います。
(福島県楢葉町 中学3年男子)

私の夢は、楢葉町にある実家の近くに医院を構えることです。それはずいぶん前からの夢なので、震災がなくても、将来は楢葉町に帰りたいという気持ちは変わっていません。ですが、私の町は、まだ帰れそうになく、目に見えた安心があるようには思えないので、不安を拭い切れないまま生活を送っています。
(福島県楢葉町 中学2年女子)

東洋大学で行われたシンポジウムで、様々な方―今回この文を書くきっかけになった人も含め―がいて、十人十色の意見を聞いて、人一倍私たちのことを思い、そのための行動をしようとしている人の存在を知った。
今までは、震災のことは知っていても、「津波来なかった?」とかニュースでちょっと知っただけの知ったかぶりさんが周りにたくさんいて、質問にうんざりしていた。家族以外みんな私のことを知らない。それが苦痛だった。
けれど、シンポジウムに来て、ここにいる人達は今まで会った人とは違うと思えた。皆がそれぞれ自分なりに活動を起こそうとしていたり、実際に起こしている。知ったかぶって空回りなんてしてない。みんな理解しようとしている。それは温かく、その大いなる存在に幼子のように思いっきり抱き付きたくなる心だった。
私もこれを通じ私なりに様々なものを発信しようと思った。フェイスブックもその一例であり、そのうち私のページを作ったり、サイトを作ってみたいとも思っている。インターネットは広いからこそいろんな人が見ていて、その数は膨大である。
私がこの世界にもっと漕ぎ出してみようと思ったのは、このシンポジウムのおかげと思っている。有難うございます。
(福島県外で避難生活中 中学2年女子)

震災から丸3年が経とうとしている中で子どもたちが感じたのは、社会の関心の低下と子ども自身の中にある懐郷の念の増加でした。大震災による甚大な被害が沿岸部の少子化を加速して学校統合が決まるなど潜在的だった福祉や教育の課題を顕在化しています。
子どもたちは前を向いて生きていますが、子どもにとっての1年は生活環境の変化は大きい。例えば、震災後に中学3年生になった子どもは今、高校2年生。来年の今頃は高校卒業です。
「今となっては住み慣れた場所で生きていく。もう戻れない。でもふるさとに貢献したい。」という子どもたちが、将来希望を持って戻ってこられる「ふるさと」を大人が創る責務を感じました。
(NPOキッズドア 片貝英行さん)

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